「空気人形」のティーチイン(是枝監督&ARATA)@シネマライズ





「空気人形」のティーチイン(是枝監督&ARATAに行って来た。渋谷シネマライズにて。

「空気人形」を観るのはなんと4回目! 

始まりはある映画館で見た「空気人形」の予告だった。

「私は心をもってしまいました。もってはいけない心をもってしまいました」のナレーションに一発でやられ。しかも「誰も知らない」でから注目している是枝監督の最新作ではないか。しかーーも!昔からだい大・大好きなARATAが出演…。こりゃ観ないわけにはいかない。

ということですぐさま前売りを購入。前売りを買うなんて初めてだ。でも「心に響く作品に違いない」という確信があった。

1回目は地方の映画館で鑑賞。頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けた。そして、感動で心が震えた。

でも疑問点がいくつかあった。

(下記、映画内容&ティーチンでのネタバレあり! まだ観ていない方・「解釈」を知りたくない方は見ないほうがいいかと。)





・人形はどのタイミングで「見ないで」と言ったのか
(結果→1回目はしぼんでいく自分を見せたくないため、2回目は下着や下半身を見せたくないため)


・人形師(オダギリジョー)は「美しいものもあったかな」のセリフを全て正しく知りたい
(結果→「教えて欲しいんだ」「キミが見た世界は汚いものばかりだったかな」「それとも、きれいなものも少しはあったかな」)
※このセリフ名言だと思う!ものすっごく感動。涙があとからあとから流れた。オダジョーはこのセリフを言うためだけに存在していたかのよう。


・人形が純一のお腹を切ったのか
(結果→人形がハサミかナイフで切った)


レンタルビデオ店の店長はたぶん妻と離婚か死別しているのだろうが、そのどちらかが分かる何かはあるか

(結果→やはり結婚指輪はしているが離婚か死別かは分からない)


・純一と人形が捨てられたのは燃えるゴミの日か、燃えないゴミの日か

…などなど


ペ・ドゥナのセリフ回しがたどたどしいため(あえてなのだが)聞き取れないセリフもあり。2回目は注意して観た。シネマライズにて。

気になっていた疑問点・確認したかったセリフは確認できた。でもさらに疑問点が残った。また、もう一度感覚的に味わいたいと思った。
だから3回目をまたシネマライズで観た。もちろん毎回一人だ。


観れば観るほど、受け取り方がビミョウに変わって行く映画だ。そしてあらゆることに思いをはせてしまう。

人間の本質的な部分をえぐり、さらにそれを美しく透明に昇華した映画だ。そう、「透明感」があるのだ。あれだけエグい場面も切ない場面もあるのに、なぜか透き通っている。(※これは「誰も知らない」でも共通していることかもしれない)

私は大いに泣き、大いに心を動かされ、大いに人生と自分、東京、他者について考えた。なんと素晴らしい映画なんだろう。ここまでの邦画は他に無い。

唯一難点を挙げるとすると、周辺人物の描き方が若干雑なこと。それぞれを駈足で描かなければならないのはペ・ドゥナに時間を割くためには仕方なかったのかもしれないが。

あっぱれとしか言いようが無い。

最高の作品に出会えた。「まだ出会えるんだ」という希望をもつことができた。

下記、実際のティーチインの内容。(うろ覚えなのでところどころ違っているかもだけど)



是枝監督: 「今日ARATAくんは撮影してたんだよね」
ARATA: 「はい」
是枝監督: 「日活撮影所で」
ARATA: 「はい、そうですね。ドラマの」
是枝監督: 「どういう題名?」
ARATA: 「え…『ニュース速報は流れた』っていう題名です」
是枝監督: 「まさか(題名を)聞かれるとは思わなかったでしょ」
ARATA: 「そうですね。ちょっとびっくりしました」


是枝監督: 「ARATAくんとティーチンをやるのは…『DISTANCE』以来だから・・・」
ARATA:   「はい、そうですね」
是枝監督: 「8年ぶり・・・くらい?」
ARATA: 「そのくらいですね」


是枝監督: 「じゃあ、何か聞きたいことがあれば…」


 ※ARATAが手を挙げた観客から選んで当てていく。



観客: 「人形がはめている時計は針が動いていませんが、これには何か意味があるんでしょうか」

是枝監督: 「よく見てますねー。意味というか…(小道具さんと相談して)『止まっていたほうがいいよね』と感じたので(そうしました)。何となく」 「おもちゃ(の時計)ではありませんね」






観客: 「この作品を再度観て改めて気づいたことはありますか?」

ARATA: 「ペ・ドゥナの<目>の演技が…。<目>で演技してるんですよね」




観客: 「あの写真の女性は恋人でしょうか?」

ARATA: 「純一の死んだ奥さん…ですね」

観客: 「彼女の死因は?」

ARATA: 「病気か事故かと言ったら…事故・・・ですかね」
ARATA: 「純一はドライフラワーを作ることをライフワークとしているんですが、生きているものをそのままの状態できれいなままで残したい、と思うのも彼を表しているかと。・・・僕はそう思って(演じて)ましたね」




観客: 「純一はどうして人形に『空気を抜き再度空気を吹き込ませて欲しい』と頼んだんでしょうか」

ARATA: 「純一は妻を(事故で)亡くしていて、虚無感を感じながら生きていて。『人形に空気を吹き込むことによって人形が蘇る』ということに喜び(「生きている実感」?)を感じることができた。だからかな、と」
「別にアブノーマルな趣味があるというわけではなくて…」




観客: 「ゴミ袋に入った気分はどうでしたか」
ARATA: 「(笑)。なかなかない体験ですからね…」
是枝監督: 「ものすごい寒い日でね。大変だったと思うけど」
ARATA: 「そうですね…。でも、あの隔てられた空間でもものすごい彼女(ペ・ドュナ)の思いを感じるんですよ。すごい、と思いましたね」



観客: 「色々な解釈があるべき映画だと思うので聞いてしまうのはヤボかもしれませんが、ラストシーン、人形は純一を燃えるゴミとして出したと思います。でも自分は燃えないゴミとして出したのか燃えるゴミとして出したのか分からなくて。どちらだったんでしょうか」

是枝監督: 「僕は(人形が自分自身を捨てたのは)【燃えないゴミ】(として)と設定していました。(最後)彼女自身が(自分と純一の違いを)認識して『死んで』いった、という…」



観客: 「ラムネの瓶のカラカラという音がとても印象的です。何か意味はあるのでしょうか」

是枝監督: 「彼女は自分が透けている。だから同じように透けているラムネの瓶に愛着を感じるだろうと。あと、子供ってラムネ、好きじゃないですか」




観客: 「是枝監督の映画は重いテーマを扱っていながら人間に対してどこか優しい視点がある気がします。そのルーツのようなものはあるんでしょうか?」

是枝監督: 「ルーツ・・・。何なんでしょうね・・・(笑)【以下覚えていません】」




観客: 「(ゴミ捨て場で)人形はりんごと空き瓶で自分を囲んでいますが、これはどういう意味があるんでしょうか?」

是枝監督: 「りんごと空き瓶で誕生日ケーキを表してるんですね。…彼女が誕生日を想像しながら死んでいった、という」 「(りんごと空き瓶は)あえてランダムに置いてもらったんですけど」

是枝監督: 「このりんごと空き瓶(の意味)について…分かる人いますか?」「はい、そこの・・・(と手を挙げた女性を指す)」

観客: 「過食症のOLが初めて自分を客観視したのかと。彼女はりんごとゴミ(空き瓶)に囲まれて生活している。そんな自分を人形に投影して。それを『きれい』と言うことで自分を認めた、というような…」

是枝監督: 「はい、そうですね。・・・最初のほうで人形が『きれい』というシーンがありますが、これと同じ言葉を言わせることで、つながりを作りたかったというか。『これから生まれる』というような」


 ※アスミックの人「それではこのへんで終了…ありがとうございました」


是枝監督: 「まぁ、ここは答え合わせの場ではないので・・・別に僕が言うことが正解ではないし、(観る人に)色んな解釈をしてもらったほうがいいですね」 「もう僕は、みなさんに(この映画や解釈を)委ねたので」


是枝監督: 「あー、緊張した…」



想像以上だったのは、是枝監督もARATAもとても静かで落ち着いていたこと。そして観客からの問いにとても誠実に噛みしめるように答えてくれていたこと。さらに、「答えられない」とか「それは観る人の想像にお任せします」などと言わずに、逃げずにちゃんと答えてくれたこと。「こんなに明らかにしていいの?」とこちらが心配になるくらい。


初めてナマで見るARATAは、雑誌や画面で見る彼そのもの。かっこいいというか「美しい」。もう凡人のアタシなんて隣に並ぶことはおろか話しかけることも、見つめることも許されないわ、って感じ。崇高な存在とも言うんだろうか。
その物腰の柔らかさや透明感はしゃべっても変わらなかった。一つ一つの言葉を慎重に選びながら、まっすぐ答えていた。改めて、なかなか居ない存在だと思った。


ARATAは私の期待を裏切ってくれても良かった。憧れていた人物の実態は実は違うことだってあるし経験しているから。でもどうしてARATAは「想像していた通り」で居てくれるのだろう。すごいなぁと思った。


『空気人形』はまだまだ私たちが気付いていない味わい方があって、観るたびにイマジネーションを掻き立てられる作品だと思う。上記のティーチインでの観客との質疑応答は映画の「?」のほんの一部である。

「老けることを受け入れられない受付嬢」(余貴美子)の留守番電話にメッセージを吹き込んだのは彼女自身であること(4回目観てやっと気付いた)、「代用教員だった国語教師」(高橋昌也)と「痴呆が進み刑事事件の容疑者が自分自身であると主張する老婆」(冨司)の2人が最後に出会うことなどなど、周辺の人たちの背景や彼女とのつながりを考えると、まだまだ色々観客の想像力に挑戦するかのような設定が隠されている。これを一つ一つ見つけていったり「自分の解釈」とするのも楽しいだろう。