試写会『美しい人』




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21:30〜23:30 という、働いている人たちに優しい時間。
このように遅い時間帯の試写会は稀だと思う。





映画自体は…
20代後半以降の女性に薦めたい。

2時間の中に、9人の女性の人生を集約した映画。

観る者は、ワンシーン・ワンカットのお陰で彼女たちと同じ時間を刻みながら、その10分を一緒に体感していく。


ささやかでどこか拘束された日常生活。

その中には痛みもあれば、喜びと愛もある。


ある海外のライターさんは
「ハリウッドのやりかたにどっぷりと浸かってしまい、小奇麗にまとめられたパッケージのなかにメッセージを得ようとすることに慣れてしまった映画ファンのなかには、そういう感覚のないこの作品に不満を覚える者もいるかもしれないが。」と言っている。



私は、この映画に「普通」の中に「ダイナミックさ」を見つけることができれば、「いい映画」だと感じることができると思った。




9話の中で一番良かったのは、


第3話  愛をぶつける人(ホリー)

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父親との幼いころのトラウマから、ホリーは長い間家を出ていた。しかしその感情は、大人になるにつれさらに引き裂かれていく。ある日、妹ヴァネッサと父が暮らす、苦い思い出だけが残る家へ、彼女は突然現れる。父を10分以内に呼び出せと、妹に迫るホリー。しかしその思い出の場所で、彼女はささやかで幸せだった思い出があったことも少しずつ思い起こす。父親に愛されたいという渇望にさいなまれ、裏返しの行動でしかその思いを表せないホリーのむき出しの自暴自棄の叫び。しかし今、彼女の傷を今度こそ受け止めようとする父親がそこにはいる。辛い思い出ばかりではなかったのだ、慈愛に満ちた父親のまなざしを受けた瞬間だってあったのだ。

主演のリサ・ゲイ・ハミルトン。


彼女は忌まわしい思い出がよみがえるたび、そわそわと歩き感情の抑揚がすごくなる。手振り・身振りも、変だ。
彼女の演技が、最初から最後まで素晴らしすぎて…あたかも彼女になったかのように緊張した。


彼女の「トラウマ」とは、子供の頃に父親から性的虐待を受けた、ってことで合ってるかな?







第5話 かけがえのない人(サマンサ)

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サマンサは輝くような美しさをもつ娘だ。いま父親は車椅子に座ったまま、キッチンでクロスワードパズルしている。そして娘とだけ会話を交わす。母親のルースは寝室でアイロンをかけている。娘に父親の様子を聞きながら。父と母が直接会話を交わすことはない。家の廊下を、まるで大樹の枝のように行き来するサマンサ。障害者である父と、その介護に疲れ果て会話をもつことすら困難になり、その罪悪感と、そして人生への焦燥感を抱く母親。そのふたりの仲介者、調停役を担うサマンサの茫漠とした思い。しかし彼女以外に、誰にもその場を担うことはできない。彼女だけが家族の防波堤であるり、愛の象徴であるのだから。

この話のほとんどのシーンが、何度も何度も部屋を往復するサマンサの上半身。

サマンサ役のアマンダ・セイフライドは、ちょっと魚類っぽい顔立ちだけれど、
大きな瞳と豊満な肉体をもった不思議な存在感のある女優だな…(これから注目したいと思った


父と母とを結びつけようとするがゆえのため息と、負担感をもっている彼女の根本にある優しさ。
大きな瞳は様々なことを訴えていた。


一番最後のシーンで今まで開け放っていた扉をパタンと閉める。
…でもしばらくたって、また開けておく。
「やっぱり私は家族をつなげなければ」という気持ちの表れとして。








第6話 愛を求められる人(ローナ)

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 妻に自殺された元夫アンドリューのために、家族とともに葬儀に参列したローナ。しかし周囲の目は冷たく、彼女は居心地の悪さを覚える。元夫はいまだローナを思っているというのだ。自殺の原因が自分にあることを周囲に責めたてられ、一方、元夫も欲望に火がつき、葬儀の最中にもかかわらず、彼はローナを別室に強引に誘う。抗うことのできない欲望、そして罪悪。女性としての歓びと、人間としての功罪が背中を流れる水のように流れていく。このエピソードは、監督の父親であるガルシア・マルケス譲りの誇張に満ちた魔術的リアリズム、あるいはルイス・ブニュエルを思わせるスキャンダラスで涜聖的なイメージが噴出している。


これは…途中でやっと、元夫の彼がろうあ者で手話でしか会話が出来ないということが(観客に)分かった。
彼女は元妻だから、その手話はできる。


別室に連れて行かれたときの2人の戦うような手話が素晴らしかった。

それが性的なものへとつながる方法にも思えた。


たぶん9話の中で、一番、「分かりやすい罪」であり、「分かりやすい」官能だったと思う。
この1話もなくてはならないだろう。








第7話 家族があることの歓びを知る人(ルース)

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第5話にサマンサの母親として登場したルース。自身の渇きを癒すように不倫に走り、娘の先生ヘンリーとモーテルに足を踏み入れる。月の美しい夜。満月が彼女を惑わすかのように、ことは進んでいく。夫とは久しく持ちえなかった、恍惚のひととき。月あかりの元のダンスは、まるで時間切れが迫る舞踏会のようだ。が、彼女は向かいの部屋で起こったある光景を偶然目撃する。一人の女性が突然警察に踏み込まれ、連行されるところを。片方の靴だけを残して。ルースにも時間がきたことを、それは知らせるようだった。そして彼女は家族の結びつきに思いを馳せる。娘のこと、障害者の夫のこと。人生は砂漠のように彼女から水を吸い上げる。しかしその砂漠は広大な海に取り囲まれていたことを、彼女は忽然と知ることになる。



最後のほうで彼女が電話をかけるまで、第5話のサマンサの母親だとは気づかなかった!
なるほど。


浮気相手の男性の彼女に対する行動に好意を覚えた。
部屋に入るまでの時間を楽しみ、彼女を「ただの浮気相手」というような軽い扱いをしていない。


結局、彼女がその密会を終わらせるのは、他人の逮捕を目撃しその部屋に入ったことがきっかけなのだけど、
そのとき部屋を片付けていたモーテルの女性と交わした会話がキーなのだろう。
そこをちょっと聞き逃してしまったのが、残念。







最終章 神の祝福を受ける人(マギー)
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カメラは、墓参りにやってきたマギーと娘マリーとのささやかなやりとりを映し出す。新緑の季節、年に一度訪れる美しい場所だ。逝った者とおくった者が交差する場所。そこでマリーの好きな果実を口に含ませるマギー。葡萄の実は、たわわな、人生の豊かさの象徴だ。しかしその暖かく、美しい、人生にそれほどには訪れないような午後のひとときは、パンしたカメラが、一瞬の時間経過を捕らえ、娘マリーはもうこの世にいないことを、切なく映し出す。墓は周囲のそれに比べると、驚くほどに小さい。そして母と娘の年齢差が、改めて観る者にその事実を突きつけていく。しかし最大の苦悩のうちにやがて訪れるであろう神の祝福は、こうして淡雪のようにもたらされるのだ。



最後の最後まで、マリーがマギーの娘だとは思わなかった(孫だと思ってた…マギー老けてたし)!


「パンしたカメラ」が新緑を360度回して写しているとき、グルグル回って夢と現実のハザマに
いるような気がした(少し気持ち悪くなるくらいに)。



そのあと、マギーは1人だった、という現実がうまくとらえられている。
そこで私たちは、知る。


「なぜ1年に1回しか来ないの?」という問い…それも全て意味があったんだろう。


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わずか10〜14分の物語。 それが9つ。

短い時間なのに、それぞれがとても濃密で、リアル


贅沢な時間だった。



ワンシーン・ワンカット」の効果を映画を観て
「なるほど」と感じることができた。




カメラは限りなくそれぞれの「女」に近づく(アップも多い)。


「彼女」の息遣い、まつげの動き…全て自分の耳元で聞こえ、感じることができる。だからこそ、その「瞬間」彼女にのり移ったかのように思えることすらあるだろう。




これは、「ワンカット・ワンシーン」というある意味古典的な手法を用いたからこそ
実現した奇跡だろう。



この監督は、なんて繊細なんだろう
女性以上である。
この繊細さゆえ男性よりも「女性を描きたい」と言うのだろう。



今後も期待したい、監督/ロドリゴ・ガルシア




それぞれ「愛」についての環境は違えども、人間には誰しもに「愛」があるし、それを受け取ることもできる、という真実を、静かに、しかしダイナミックに描いた叙情詩。集大成



平日の夜に、心の奥に染み、ジワ〜っと人生への歓びを実感することができて、良かった。

オトナの女性に薦めたい。


私はまだ、監督/ロドリゴ・ガルシアの「彼女を見れば分かること」を観なければ。