私の母はすごい





私の母は、ずっと専業主婦だった。


家事、特に料理は得意でないにしても
外食はほとんどせず毎食手作りの料理を作ってくれた。


特に覚えているのは
手作りのドーナツとホットケーキ。

どちらもホットケーキミックスで簡単に作れる
特に手の込んだものではない。


そのときはそんなにありがたみを感じなかったものの、
母はできるだけ手作りのおやつを食べさせたかったんだろうな
と思うと何だかジーンとする。



そして私は大学生になるまで1度もマクドナルドを食べたことがなかった。

よく子連れ夫婦がマックで小さい子どもと食べているのを
見ると「ああゆうのは普通なのかー」と思うけど、
そういえば母はファーストフードを食べなかったし
私たちにも食べさせなかった。


だからといってマクロビや自然食にこだわっていたわけではなく
適度に加工食品や市販のおやつなんかも
食べさせていたけれど。


とにかく

大幅にジャンクなものは避けてくれていたのかなーと

いまさらながら母に感謝する。



そして母は、
中・高校生の帰り、よく車で迎えに来てくれて
そのまま一緒にスーパーに行ったり
父には内緒で喫茶店でランチを食べたりした。


そのお店も特に高価ではなく
母が「コストパフォーマンスのいいお気に入りのお店」
というところだった。


モーニングやランチで500円
っていうくらいの安さ。


母の息抜きはそういう庶民的なものだった
というのが何だかちょっと切なく、
愛おしく感じてしまう。



母はよく本を読んでいて
特に「生き方」「気の持ちよう」という系統の本が
好きだった。


そこで気になった文章を自分で手帳に写したり
読書ノートのようなものをつけていた。



そしてタメになる言葉があると

「○○ちゃん(私の名前)、『〜〜〜』って書いてあったよ。
 すごくイイ考え方だよね。」

「この間、○○さんの著書に『〜〜〜』と書いてあって
 感動したよ」

と、私に伝えてくれていた。



特に

ケセラセラで生きる

・「ありがとう」を口に出す

と言うことは何度も何度も聞かされた。


野山に咲く草花の美しさ、
誰かの素晴らしさ、
そういうものをそのまま言葉にして私たち子供に表現していた。


誰かをけなしたり、
不平不満を言ったりよりは
明らかに「プラス」の言葉のほうが多かった。



台所から

「ちょっと来て!」

と大声で呼ぶので何事かと思って行ってみると

「綺麗な夕焼け〜〜!!!
あのグラデーション素晴らしいよー!」



そんな母だった。



子どもの頃は「また言ってる」なんて
ちょっとひねくれて聴いていたけど、
今となって思い返すと
そういう情緒的な「教育」ができた母って、すごいと思う。


母の今の楽しみは
山奥の秘湯(1回500円と安い)に
一人で通うこと。




私の母は
感動屋で、
ブランドものを持たず、
限られたものの中に楽しみを見出し、
下手なぷらいどを振りかざすこと無く、
子どもに語りかけ続け、
私たちを褒め続け、

とにかく前向きに、人生を楽しもうと生きてきた人だ。


本当に、
尊敬する。


そういう母に育ててもらったことを
ありがたく思うし、



私が

「幸せだよ」

って言える生き方をするのが

本当の恩返しだと思う。



お母さん、
ごめんね。