沢尻エリカ・マリエ・鈴木えみ・木口亜矢の接点〜原宿ロンチャーズ




沢尻エリカ・マリエ・鈴木えみ木口亜矢の接点は原宿ロンチャーズなるものらしい。

↓これは「原宿ロンチャーズではなく「アイドル道」という番組。
16歳の時の沢尻エリカ
(かわいー!…けど強気発言とタチの悪さはにじみ出ています>最後のほう必見

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原宿ロンチャーズ(BS朝日)
原宿ロンチャーズBSデジタル放送開始直後の2000年12月4日から2003年9月28日までBS朝日で放送された情報バラエティ番組。

開始当初は月曜日から金曜日までの夕方5時から2時間の生放送で、BS朝日内のサテライトスタジオ『ガレリア』から放送。出演していたのはスターダストプロモーション所属のタレント達だった。主に原宿での最新ファッションや、10代の女の子たちの気になることをアンケート形式で紹介するなど、盛り沢山の内容だった。コンセプトはリンカーンの名台詞を捩った「女の子の女の子による女の子のための番組。」であったが時間帯等の問題から若い女性視聴者は決して多くなかったと思われる。また、サブコーナーは出演者たちによるダンスバトルや、CDデビュー企画、スタジオ・ミュージカルなども放送された。

その後、2002年4月から1年間は月曜から金曜までの夕方6時からの1時間に短縮したが、前期はガレリアからの生放送、後期はBS朝日のスタジオでの収録だった(番組の最終回まで)。そして、2003年4月から半年間、日曜日の昼3時30分から2時間半の生放送に戻したが、いずれも視聴者には浸透せず、2003年9月、2年10ヶ月の歴史に幕を閉じた

当時は家庭にデジタル放送機器がそれほど普及していなかったため、アイドルファンでもこの番組を知っている人間は数少なかった(BSフジでの「アイドルダウンロードショー」も同様)が、後に女優、タレントとしてメジャーになったメンバーも存在しており、この番組を見ていたファンは貴重な体験をしたといえよう。

大塚製薬の単枠提供で出演者の飲み物もポカリスエットで統一されていた。その他、最初の半年間の提供スポンサーは、ロッテ、NEC富士フイルムだった(ロッテ以外のスポンサーは、半年で提供終了)。

沢尻エリカ、マリエ(当時の芸名は、赤川こはる)、佐藤めぐみTV初出演番組である。番組末期には、のちに声優として人気を得る中島愛も出演していた。

鈴木えみ(整形しすぎてよく分からない)、木口亜矢も出てましたよー。


マリエ=「赤川こはる」って本名なのだろうか。


ファンサイトもちゃんとありました↓


http://www2.tokai.or.jp/irekomi/radio/men1.htm
沢尻 エリカ 1986年04月08日
赤川 こはる 1987年06月20日
木口 亜矢 1985年10月11日




マリエ(↓当時から野心まんまん)


赤川 こはる
赤川は友達はいないという「自分から友達とはいわない」感じたことなど詩に残しているらしい。彼女の書く詩は友達や親に内緒の
ことが多いらしい。友達との会話では「今日あったことやつまらないことでも話す」という。赤川にとってCDデビューは「自分にとってどこまで通用するか(自分自身を知りたい)」。自分を分析すると「矛盾している」。一番大切なのは「自分」。赤川にとって生きることは「腹をかぶって生きていく」。好きな言葉は「めいいっぱい」


4月からリニューアルされた「原宿ロンチャーズ」ロンチャーズメンバーが言うエンディングの一言です。
(沢尻 エリカ)24日とくにまだ予定なし。みんなで鍋いくぞー
(赤川 こはる)私に英語はしゃべれません
(赤川 こはる)もう15歳。もうすぐ20歳だ。やばー
(鈴木 えみ)きっときみはこない〜♪せつねえ