モノを作るときの依頼書






現在、仕事で、外注制作に出す窓口の業務も、行っている。


なので各担当者が作ってくる「依頼書&ラフ」に目を通して
マズイ部分はフィードバックしているのだが…。





その依頼書の書き方のずさんさ
に「怒!!!」である。

該当ページの指定がない、画像がそろっていない、
構成案が抜けている、テキスト原稿がない、
希望アップ日がありえない短時間…などなど
一言で言うと
「これじゃ作れないよ!任せすぎだよ!」というもの。


「依頼書を書く時間がない」なんて言い訳だよ。


その「依頼を受ける人」の立場に立たなければいけないでしょう。

「この内容で作り始められるのか?」「分かるのか?」こういった
ことを反芻してやってもらわないと…。


ざっくり依頼をしておいて、上がってきた制作物に関して
「ぜんぜんダメ」とか「イメージと違う」なんて言えないでしょ…?


私はそういった人を見ると「ではどれだけきっちり依頼をしたの?」
「<イメージ>の共有化をしたの?」と問いたくなる。


ひとこと「かっこいい感じで」と言っても「かっこいい」の捉え方は
千差万別。
「かっこいい」と言ったものが「ラブリーな柄で色調だけシックに」
完成してきたりする。
それだけ<イメージ>は怖い。


<イメージ>が近い人と仕事をするなら楽だ。
でもそれを作り上げる関係性を構築するまでには往々にして
時間がかかる。

まだそんな関係性ができていないのであれば、
やはり「誰が見てもある程度のものは作れる」という
依頼書を書くべきだ。


確かに依頼書でやラフで時間をとられていたのでは、
他の業務が進まないのはわかる。

でも、それをなんとかしないと。
そうしないと、依頼先からの問い合わせも増えるし
二度手間になるだろう。


結局、依頼書やラフをきっちり書く(きちんと指示出しをする)というのは後々の仕事を減らす重要な一手なのだ。
これは、私がやってきた仕事が「制作依頼を出す」「受ける」という
両方の立場を経験しているからとも言えるのだけど。


私は、最初の依頼・目線合わせを一番重視する。
ここで正しく伝わらなければ、最後まで引きずる。


そしてその「伝える」「伝わる」のは、受け取り側の能力ではなく
ほとんどが「伝える側」の能力不足や努力不足だと思う。


私はそこを相当叩かれて鍛えられてきたので、
いつも意識してしまう。


「提示する情報はこれで正しいのだろうか?」
「足りているだろうか?」
「これでスムースに制作できるだろうか?」
「誤解は生じないだろうか?」
自然とそういった意識が働いてしまう。


だから他の人が書いている抜け抜けの依頼書を、他社さんに
出すのがためらわれる。
(だから差し戻すのだけど)


私は自分が「伝えるー伝わる」の技術に長けているとは思わない。
まだまだ足りていない部分がたくさんある。

しかもその技術だけに固執していても仕事は進まない。
場合によっては、それよりもチカラ技でガシガシ勧めていかなければ
ならない場合もある。

モノによっては、ざっくりとした「依頼」で
試作品を作ってみて精査していく…というほうが
良いものができる場合も多々あるだろう。


ただ、私の関わっている制作物はそういった類の
ものではない。

できるだけスピーディーに、出戻しなく的確なモノを
仕上げる、ということが求められる類のものだ。


ちなみに、
私はその「依頼の仕方」について人一倍気にしているのだ
ということに気づくまでにも時間がかかった。

「そういえば私これについてやたら神経質になってるなぁ」
と、気づいた。

気にしない人は気にしない。
(気にしなくてもいいのかもしれない)



固執しすぎなのかもしれないけれど、
指示者から情報をもらって制作を行う現場の担当者の立場になるとどれだけ困るだろう…
と思うと…。

できるだけキッチリ依頼したいと思ってしまうのです。

良いものを、より効率的に、スピーディーに作るために。

ってことで最近、
キーーーーーーッ!!!!!!でございます。