昔の彼





これを書いていて思い出した。

「家族との誕生日会」は「当たり前にあること」ではないんだ……





私がそれを知ったのは、大学時代にお付き合いした人と
過ごすことによって、だった。


その人の誕生日が近づいた。

私は、何をしようかな♪喜ばせてあげたいな!と思い、
色んなことを考えていた。



まず、ケーキとろうそくは必要。
そしてご馳走。
最後にプレゼントとカード。



ケーキやごちそうをセッティングし、彼とそれを囲む。
真っ暗にしてろうそくに火を灯す。


「せーの」で消す。
拍手する。



ケーキを食べながら
「こんなん初めてやわ〜」と言う彼。



「え、でもおウチでやらなかった?」


「やらんかった」



彼が小さいときに両親は離婚していて、彼は父親に
育てられた。


私は「え、でもおウチでやらなかった?」という
自分の考えのなさに「しまった」と思った。



「じゃあ誕生日はどうしてたの?」…という純粋で
残酷な質問など、もうできなかった。


彼は「普通」はどうなのか、聞きたがった。


  
私は、「私のウチは『普通』ではなくてヤリスギだと思うけど…」
と前置きをした上で、

お月見の日にはおだんご作ったり、
冬至にはかぼちゃを炊いて食べたり、
ひなまつりにはあられを食べたり、
年末年始には…… という自分の話をした。


それら両親が行った「行事」は、オトナになるにつれ
感謝することができるようになった。


それは『普通』だ、って無邪気に言える事ではないのだ。


彼は、「へえ……すごいな」と言い少し寂しそうな顔をした。
私は話してしまったことを後悔した。
ただの自慢ではないのか。ただ彼を落ち込ませてしまっただけではないのか。



でも。

私はだからこそ、「これから」私が彼に
その時々の記念を
してあげよう、と思った。

経験したいと思った。


彼が寂しかった分、取り戻せたらと思った。



彼がもしウチの家族だったら経験していたであろう
庶民の、温かな、つつましい幸せを。