孤独な地点と誕生日
自分の誕生日が近づいてきた。あと一週間くらいだ。
前は、もっとドキドキするかと思ってた。
でも何となくその日を迎えようとしている。
誕生日というのは、人がその日だけ「主役」になってもいい日だと思う。
たとえ誰かに祝ってもらえなくても。
だってその日は
「その人」にとっては年に1回、大事な日だもの。
そして生み出してくれた人(親)に感謝する日。
この間「もし自分のお腹に子供がいたら?生命が宿ったら?」ということを想像してみた。
そりゃあもうスゴイことだ。自分ひとりの命だったものが「もう1人」の命を作り出し保っている。
そして出産したら。
「自分の命の片割れ」が泣いて、笑って……「生きる」んだ。
こんなすごいことが(多分)私にもできるんだ。
そりゃあね、親は子供が愛しいはずです。親バカなはずです。
私は自分が命を生み出すことを想像するだけで、
その存在(子供)は大事だーって心底そう思う。
その子の「生まれ出た日」は一生、忘れないと思う。
だからか、うちの親(特に母)は毎年私の誕生日を忘れず、一言とプレゼントをくれる。
小さい頃(小学生くらいまで)は家族みんなで、誕生日会をした。
と言ってもモチロン、何のことはない。
ただ、ケーキにろうそくを灯しそれを吹き消す。
家族が♪ハッピーバースデー♪を歌ってくれる。
「今年の抱負は?」と聞かれ、「たてぶえをもっと上手く吹けるようになりたい」とか言う。
母からのプレゼントにはいつも、短歌や詩を引用した「手紙」がついていた。
「おめでとう」の文章の最後に、「母が子を想う」短歌や詩の引用があった。
私はその時「また引用してるよー笑」とからかう気持ちのほうが大きく、
ありがたさを感じるまではいかなかった。
でも成長するに従って、母の思いを感じ、
そしてそれを本当にありがたいと思う。
育ててくれた(くれている?)母…(いや、父にも)
感謝している。
きっと今年の誕生日も母から手紙が届くだろう。
父から、電話がくるだろう。
もっと、感謝しよう。
今年は男性には祝ってもらえそうにないけれど(涙)。。。。笑!