話す相手と、ただ聞くこと





うぃーっす。
と、不調ならぬ「なんとなく不調」をここ数ヶ月抱えている気がする。
んんん、何だろうね。




人に話したりない、パァー!っとすることをやっていない、いろいろ様子見…とか色々あるのだろうけど。

でもこういうことを人に言うとさ、または、自分でつっこみを入れるとさ、

人に話したりない→人に話せばいいじゃん
パァー!っとすることをやっていない→やればいいじゃん
いろいろ様子見→まあ、しょうがない


てな至極全うな回答になる。
そう、人は「解決策」を与えるのが一番良いことだと思いがちだ。



「そうじゃないの!この『なんとなく不調』の事象について、その原因であろうことについて、ただ聞いてほしいのだよ、もう何もアドバイスしないでただ聞いてほしいのだよ」
と思うのである。


それは、そうしてくれない人が多いからだ。(なーんて他人のせいにする書き方はヤダけど)



私の周りには、それなりにいろんな人がいる。だから「話す」ことなんて容易なことだ。でもやっぱり、話すには「その内容に適した人」っていうのがいる。



例えば、会社の同僚でランチも行くまでの仲ではないけれど全員の飲みのときはたまに話すかな程度の人に対して、「チームの方向性について」は話せても、「私が考えているこれからの人生のモンダイ」やら「部屋のカギを忘れて○○に泊まってしまった」などは、言えない。




両親に対して、「常識人としてはどうすれば良いのか」は話せても、「今までの恋愛遍歴について」ということは話せない。





でも、Aさん(気の使い方とか思考とか根本が似ているひと)には、下品なこと以外はなーんでも話せる。下品なことは(略。




人は、というかある程度オトナになると、対峙している人に合わせて話す内容を巧みに変えている。自然とそうなっているのかもしれない。
それは、その人なら、私が話す○○の内容を「まず受け止め」てくれ(基本的に反論なしで)、私が望む内容(それはただの「あいづち」であったりもする)を返してくれるからだろうな。




女性でよくあることなのだけど、何かを話すときにはアナタにそれを解決してほしいわけではなくて、「ただ」心をこめて聞いてほしいだけ、ってことが多い。巷で売られている本にはそういう女性特有のことが書かれて久しいけれど、それを実感したのはここ数年だ。




そうか。私はアドバイスがほしいわけじゃないんだ。
ただ、聞いてほしいんだなあー。




そして男性がなぜ、「まず受け止め」て同調することなく
すぐに解決策を与えてくるのかということもなんとなく理解できた。



これは男性に限らず、で自分もそんなところがあった。何か相談(ぽい)ことや困っていそうな内容であれば、すぐさま「どうしたらこの人がラクになるんだろう? この問題を解決するにはどうするのが一番いいんだろう?」と思考を巡らせる。それが、最もイイコトだと思っていたから。





でも、話しているほうはそうでもないんだよね。
むしろアドバイスなんてなくていい。とにかく聞いてほしくて(言う対象で居てほしくて)、そして「大変だね」とか「それはイカン!」とか、「分かる分かる」って言ってほしんだよね。
これって文章で書くとかなり稚拙で些細なことのようだけど、実は、すっごい重要なんだよなあ。




ということをヒシヒシと感じている私は、今日、「ただ聞いてほしい」友達の呼び出しにより、たーーっぷりと聞くのだ!そして私もしゃべるのだ、と思う夕べ。
んで、今後の私の人生は「定時で帰ることができる仕事」にしようよ、と自分に言い聞かせる終業の今。帰ってやるーーーーーー