ここに書き始めて8%




まだ2年にはならないけど、あともうちょっとで2年!?
さきほど久しぶりに自分がここに記したものを振り返ってみて赤面しつつ、恥ずかしくて切腹しそうになるものを見つつ。月日の流れを改めて実感…


「わーん、何て赤裸々なのかしらっ(←しかし、言うほどではない)」と思うものもあれば「うんうん、そうだったそうだった」と思うものもあれば。

ここには多分自分の8%くらい(何となくそのくらい)を排出したのだけど、それを振り返ることによって残りの92%も思い起こされて。うん、いいですね。



「いま書かなくていいか」と思ったとしてもできるだけ書いたほうがいいんだろうな。「そのとき見たもの」「感じたもの」は「そのとき」の生モノ。一瞬あとには消えてなくなっているもの(似た感情はあってもまったく同じではないはず)。自分の感覚を文章にする(私のは文章なんて素晴らしいものではないですが)ことの尊さを感じた平日の夜。



多分ね恋愛の実体験系のものがいいのだと思うのです。現実に勝る物語はないです。私の「今日ランチはオムライス食べたよぉ」な話より、「その人と出会ったのは…」なんていうくだりのほうが「おお」と思うですます。


恋愛と言えばまさに「個々個々の体験」であり、その人の「違う部分」(ある意味本質だったりもする)が見えるもの。だからこそ人間はそれを知りたい、覗いてみたいと思うのでせう。かくかうしかじか。


ただし、「書こうと思えば書けるのですが〜」なーんて、まるで恋愛経験豊富な方のようなことは言い放てないので。そして恋愛系の話は自分のコアな部分と向き合うに等しいことなので、多分「気分で」というときが良かろうと判断し、うんぬんかんぬん。


まぁいっか。


さいころ宿題の絵日記。
「きょうは おかあさんと すーぱーに いきました。たのしかったです」

先生はよく言った。
「出来事だけ書くんじゃなくて、それについてどう思ったのか、『どうして楽しかったのか』を書くことが大事よ」


そう。
「私は〜〜〜」「私は〜〜〜と思う」と「I」で話す(書く)ことの大事さ。それに裏打ちされる強さ。強くないと、「I」で語れないんだ。「I」で始まるものには、ある程度の覚悟と責任が必要なんだにょ。にょにょにょ。

もちろん「I」から始めるという文法的な「書き方」以上に強さが必要なことがある。それは(Iがあっても無くても)「自分」の内面を「吐露」することだ。だから「8%」しか書けていない私は、うん。わははは



とにもかくにも目的や形式、書くことの意味を決めてしまうと、逆に書く意味がないので、ふわ〜っと。
(これに近いニュアンスで、よくブログを書いている人が使うのは「まったり」「ゆらゆらと」ですよねん)