許すということ
2007年・書き初め。
って何人の方の目に留まっているか分からないのだけど、明けましておめでとうございます。
今年もたぶん細々と書いていきますのでご縁があればよろしくお願いします!とか元気に言ってみます。
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毎年その年の総括をして次の年に向け気持ちを新たにするのだけど、今年はなんだかそんな感じがしない。しないのはなぜ?
思い出さないようにしているのかしら…
2006年(細木数子いわく)火星人+の私は「立花」でそりゃあもう実りが多くハッピーすぎる年だったそうなのです。他の占いでも(占い嫌いな方は鼻で笑うと良いと思います!)軒並み「最高!」というおめでたい表現が踊っていたのです。
しかああ〜し!振り返ってみると…そんなに良かったか?いや良くない…。2006。
やけに内向的だったし、ライブもあまり行けなかったし、心身バイオリズムも低きをさまよっていたような。
新しいことと言えば、アレと、転職を決めたことくらい。
んーでもそれで充分なのかな。とらえ方の問題なのかしら、それとも私の負の予感は当たっているのかしら…
前者は、時に荒波をもたらし、翻弄。後者は「これで良かったんかいな」という気持ち悪さが残る、という。
んがー!新年早々スミマセンねがてぃぶでせうか。。
うう、いいの。。。どんどん言うべし。
私は「排出不良」だと良くない。
そう、去年は話す・書く両方が充分にできなくて(しなくて)、排出不良だったことに気づきました。そしてそれは「たまる」のですね。
なぜしなかったかと言うと、1つは「見えざる目」への意識。
以前、知人にわたしの何かしらのキーワードからブログ(違うものですが)を探し当てられ絶対に読まれたくないことを内緒で読まれていたことだってあります。「言わなきゃいけないことがある…」なんてそんなこと告白されちゃってもう目が点。
だからインターネットって怖いな・ひゅ〜!てなことも思うのです。
しかしこれが当たり障りのない「モノの紹介」など淡白なカテゴリのみのブログであればいいのだけど。いつの間にか「つぶやき等何でもアリ」になってしまったので、心の内が。ちょろっと。
人間、自分の心の内を見られるのが一番恥ずかしいことだと思う。じゃあ隠しておきなさいということになるけれど、書いて整理したりただ吐き出したりする術とその効用を知ってしまうとそれが「できればあったほうがいい」大事なことになるのでした。
だから配分が必要で、例えば8割沈めておいて1〜2割「排出」というのが、ん、ちょうどいいのかな。
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今日の私なんて本当は
「つらい」
これだけで良い。
だけれどもつらつら書いてしまうのはそれにつながる色んな「思ったこと」「考えたこと」があったからで。
「つらい」その一言で済ませてしまうのはあまりにも短絡的すぎるわーなんて思うからです。あ、あと、キーを叩くのが楽しいから。
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携帯の連絡について。ちと考えることがあったので、また今度。
というかこの文明の力、とてもやっかい。
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とにかくつらいので、今日はおしまい。