昔の彼?〜私たちの転機






予定外で?〜?まで書いてしまい、書くのももうやめようかな
とも思っていたのですが。


私にとっては、今こうして生きている自分を作った
大事な大事な出来事の一つ(どの恋愛もそうだけど)。




だから
それを文字で残してみるのもいいかなと
思いました。


(自分が見つけやすいように、サブタイトルまでつけてみました笑)






・・・・・ということで、 これの続き。








そんな感じでいつの間にか1年経ち、2年経ち…

彼の友達にあったり、私の友達にも会ったりした。
みんなで鍋をしたりもした。




≪≪アナログな連絡方法≫≫



わたしたちの連絡は、今のように(って古そうな話?(笑))
携帯や携帯メールではなかった。



彼がウチに電話するか、
私が彼のポケベルを鳴らして折り返し電話してもらうか。



彼のポケベルは数字しか出ない機種で(たぶん価格が安かったから)、
私は電話して欲しい時「○○○」と自分の名前を数字で打つしかなかった。



そうすると彼は寒い廊下に立ったままで、ピンク電話で電話をかけてくれた。
10円しか使えない、今ではほぼ消滅したピンク電話



だから私がまた折り返し電話をして、話をした。





≪古着とスニーカー≫


しばらくたって
彼の定番・古着、それはおしゃれだけではなくて、
安いからだということを知った。




Levisのコーデュロイ(灰色)。
これがよくはいていたもの。


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だからその頃から、私もよく古着屋に行くようになった。


それが
私たちの楽しいデートコース(って死語?)にもなった。




一緒に古着屋に行き、
デッドストック(でもなぜか安いんだよね)のスニーカーを見ては
あれこれ話すのが楽しかった。




私の服装もかなりカジュアルになり、
ジーンズとスニーカーをはいたのもこの頃だった。


(ちなみにこの頃買ったデットストックのスニーカーは
 何年か後にフリマで何倍もの高値で売れたり!









たまに私の洋服をあげたりもしたな。

ラルフのBDシャツ、男物のカーゴパンツ・・・・。
彼は、それを着られるくらい細かった…(笑)。




私は彼のうちにいるときはほとんど、
あの体育で彼が着ていたadidasのジャージを着ていた



袖が長くて、ぶかぶかだったけれど、うれしかった。




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相変わらず、よく会って公園を散歩したり、
御飯を作ったりしてのんびり
自分たちのペースで過ごしていた。






彼は途中で、バイクを買った

HのMという小さなバイク。

本体は中古で、部品は全部安く譲ってもらったのを使って
自分で完成させた(?詳しくないから分からないけど)よう。



このバイクのお陰で、彼はよくウチに来れるようになった。

(自分の部屋から、彼のバイクの音が聞こえて「来た!」と
 思う自分のあの感覚はまだ思い出せる。)


燃料代がなくて来れないときもあったけれど。


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そういえば、
「倦怠期」というものを感じたことはなかった。



2人でボーっとしているだけで良かったし、
たぶん私のほうが「〜しようよ!」と提案して
彼もそれを受けて…とうまく回っていたから。





私は1年を過ぎた頃から、(自意識過剰でなければ)
彼が自分のことを相当大事にしてくれていることを実感してきた。


最初に会ったときからは考えられないことだけど。






彼は人見知りで特にしゃべるわけでもない。
皆に優しいわけでもない。



しかし私には、優しかった。力になってくれた。
私の立場になって一緒に考えてくれた。






寂しい思いは絶対に
させなかった。


自分に自信がなかった私に、自信をもたせてくれた。
「それでいいんだ」って教えてくれた。


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夜中電話をしていて、彼は突然「今から会いに行く!」と
言う。



ええええええええ?

出発が夜中の1時、こちらに到着するのが3時だよ?

真っ暗な夜道だよ?

暑いよ? 寒いよ?





しかも雪が降る厳寒のなかを、バイクで来たこともあった。
ガタガタ震え、顔色は真っ青で




次の日授業があるから3時間しか一緒にいられないのに、
そんために往復4時間かけて、来た。


こういうことが何度も何度も、あった。



ただ隣でグーグー寝るだけだったりするのに。




逆に、私が行くこともあった。


まだ車がなかったので、不便な電車で1時間半かけて。
あの寂しい駅の乗り換えと、まっくらな夜道を覚えている。



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言葉で確かめなくても良かった。
お互い。


彼の何かを、疑ったりしたことはなかった。




よく、彼氏の携帯を盗み見たり、
浮気をしているか疑ったりする女の子の話を聞く



私は(この人に限らず)そんなことをしようと
思ったこともなかった。

(今でもそんなことするのなんて、信じられん!)




好きな人に対してそういう「疑い」をもつってことは
悲しいことだ。


それは、信頼関係ができていないということじゃないのかな。。。


不安だったら直接聞けばいい。
もしかしたら思い過ごしかもしれないし。



納得がいくまで話せばイイ。
そこで話ができないようであれば、それだけの関係だと思ったほうがいい。



相手もこちらを大事に思っているならば、
きちんと向き合ってくれるだろうから。




だからこの人とは、納得がいくまで話したような気がする。


泣いたこともある。
けんかして一言もクチを聞かなかったこともある。



でもそれを越えて、越えながら、数年
一緒に過ごした。


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彼は、家族のようでもあり、親友でもあり、
そのときの私の一番の理解者だった。

彼のことを本当に大事だと思った。






私が大学3年のとき、1年先に、彼が卒業した。



卒業した彼はm
大学から車で4時間離れた土地へ就職することになった。


その地は彼の実家にも近い場所だから
妥当といえば妥当だった。





車で4時間……けっこうな距離


でも、往復4時間を何度も経験している私たちには「遠距離」
という感覚はなく、それからも2週間に1回は会っていた。



その頃たまたま私が車をもったので、
その地まで車で往復8時間、というのを何度もやった。





コツは、車が少ない夜中に出発すること。

それで片道4時間かかるところを3時間かからないで到着したりした。

もちろん制限速度おかまいなしで。真っ暗な田舎の高速を飛ばす。



アクセルを踏む
ブレーキをかける
パッシングをする
CDを変える・・・・


彼に会いに行くのは、とても楽しかった。


私にとってこの片道4時間のドライブは、運転を
好きにしてくれた。





そのときずっと聞いていたのがHi-standardだった

ハイスタを聴くとテンションが上がり
スピードも上がった。



よくぞ一度も事故を起こさなかったものだと思う。




夜中の国道は、独特だ。ほとんどがトラック。
国道沿いのパーキングは仮眠をするトラックだらけだった。


パーキングに寄って御飯を食べたり、飲みモノを買ったりした。

女性なんて私くらいのもので自分で「なんだかたくましいな〜」と(笑)。





夜中3・4時に彼のアパートに着き、8時くらいまで一緒に寝、
彼の出社を送り届けてからまた寝ていた。



昼間は、部屋の片付けや洗濯。
それが終わったら、車でその街をブラブラして夕食の素材を買った。


だからその街に詳しくなった。




彼が帰ってくるのをワクワクして待っていた。

洗濯物を取り込んで、夕食の準備をして待つ。



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1回行くと、最低でも2日・最高で4日間くらい居た。
私は就職活動に入っていて講義もなく暇だったからだ




私たちの転機といえば、
たぶん私の就職活動および就職





私は、小さい頃から「バリバリ仕事」がしたいと思っていた。
(今は違うけど(笑))


何でだろう・・

その忙殺の日々を数年過ごしたあとの現在は、
そのときの自分を懐かしく思い出すくらいだけど。





文系でもあったので、「バリバリ」の代表格・マスコミに就職したいと思っていた。
いま思えば浅はかな流れなんだけど、その頃は真剣だった。




マスコミ大手に就職するには、
ものすごい倍率を勝ち抜かねばならない。




しかもまだ「就職氷河期」と言われている時期で、
超有名大学卒の少数しか採用しないマスコミ。


私の大学や頭脳(笑)では、とうてい無理な話だった。





私は、でも挑戦してみたかった。
ダメ元で。


そのために、計画と作戦を立てた。


want と needを合致させること。
企業に「この子ほしいな」と思わせること。




そんな私を静かに見守っていた彼は、
うすうす気づいているであろう「この地」での就職はない
ということには触れなかった。






その頃彼は寝言のように
「ずーっと一緒にいたいなぁ」と言ってくれていた。



私も、そう思った。
そうできればいいなぁーこれが続くといいなぁーと。




でも、もしかしたら
彼ほど強い気持ちではなかったのかもしれない。


その頃の私の第一目標は、希望の業種に就いてバリバリやることだったから

私は、なにに目がくらんでいたのだろう・・・・






そして私は、まさかの某企業への就職を決めてしまった
周囲の人はかなり驚いていた。
私は、大学合格よりもうれしかった。奇跡だと思った





しかしそうなると
自動的に東京へ住むことが決定する。



彼は特に引き止めることも何もしなかった



私は2人の関係はこのまま続くと思った。
普通ならば東京とその地と離れると決まった段階で「どうするのか」
(というより、もうダメだろう)ということを話し合うのだと思う。


でもなぜか東京が遠い気がせず、この数年の私たちなら大丈夫、
という気持ちがあった。 彼もそのようだった。



でも何か、「約束」はしなかった。


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そして、私は東京へ
誰も知り合いはいない。
地理も、電車の乗り換えも、全く分からない。



仕事も初めて。
出会う人、環境、住居…全てが劇的に変わった




彼とは電話で話すことでつながっていた。
私は寂しさを感じる余裕もなく日々の変化についていくことに必死になっていた。



彼は、もう社会人2年目。

地方の会社は都会ほど忙しくなく、必ず定時で終わる。
彼は、そんな日々を持て余しているようだった。






お互いやっぱり会いたくて、
1ヶ月に1回は飛行機に乗って会いに行った。順番に。




彼にとっては、小さい頃の東京旅行以来の上京。

渋谷や下北沢に行った。
場所は変わっても、よく2人で出かけていたあの地方の街の、
あの感じだった。




私は。どんどん「仕事」に没頭していった
というか、ストイックにならざるを得ない環境だった。


日々は、夢見た「バリバリ」の会社中心の生活。


覚えることは山ほどある。


怒られたり、ドヤされたりしながらなんとか伸びようとした。


深夜残業が続き、ヘトヘト…
携帯の留守電に入っている彼からのメッセージを、帰り道で聞いた。



何度か、返事を返すのを忘れた。


次第に彼の声が寂しそうになっていった。







彼に最後に会ったのは、
バレンタインデーだった




私が飛行機に乗ってあっちへ行った。

車で迎えに来た彼。


その車内の感じは今までと、なんだか違った。
ーーー彼は無言だった。


御飯を食べていても、変だった。





夜、同じ布団でもさみしかった。
いつもと、違う…



私は「どうしたの?」と聞いたけれど
「なんでもない」とプイと横を向いてしまう。


私は、泣いてしまった。そのまま泣き疲れて、眠った。






朝、彼は会社に行く支度をしていた。

私は、仲直りがしたかった。



今日わたしは東京に帰ってしまうから、
このギクシャクした感じを解きたかった。


そして話しかけた。
けれど、彼は何も言わなかった

私は、泣いた。

それを聞きながら、しゃがんで靴紐を締めて
背を向け、そのまま「カンカンカン・・・・」と階段を降りていった。







彼のいなくなった部屋で 私は
いつまでも、ひとりで、泣いた。



「いつものケンカかなぁ」と思い直し、
部屋を片付けて
彼に手紙を書き、部屋を出た。



そして空港へ向かった。
空港から彼に電話をしたけれど、彼は出なかった。








しばらくした
ある日、茶色い封筒が届いた。彼からだった。
かなり厚い手紙だった。





私は、それを読みながらみるみるうちに涙があふれてきた。
嗚咽になった


(以下、ウロ覚えな手紙の超一部)


「〜僕では、●●を支えていくことができません。今さよならすることが、お互いのために一番いいと思います。〜」


「〜●●のお陰で、人を本気で好きになるのはどういうことか、初めて分かった。ありがとう。
 ●●の優しいところが、好きです。これからも、尊敬する人であることに変わりはありません」



「最後に会って会社に行くとき、運転しながら泣いてしまいました
 一番最後だったのに、声をかけてあげられなくて、ごめん」




とも書いてあった。


彼は、きっとあのとき・靴紐を結んでいるときに
「これで終わり」と思っていたのだろう。



「今まで、本当にありがとう。●●なら、ぜったいに幸せになれる。どうか、幸せになってください。」


何度も見た彼のフルネームが、丁寧に記されていた



よく、私のウチの机の上に置かれた置手紙の、あの字。
私が何度も呼んだ、あの名前。


でも、それは最後の、名前だった。






私はどうして彼のつらい気持ちを分かってあげられなかったんだろう、
今になって気づくなんてなんてバカだったんだろう…



彼はあのバレンタインデーのときに、もう、だめかもしれないって
思ってたんだ…あのとき、もう決めてたんだ……




私は思わず、電話してしまった。大泣きしながら。
ごめんなさい。ごめんなさい。。。その気持ちで一杯だった




でも彼は、こう言った。


「泣かんといてー」「何度も何度も考えて、もう決めたことだから」





電話を切って、
「彼と一緒にいられなくなる」ということが信じられなかった。


空気のようだったけど、本当は私にはなくてはならない人だったんだ…
すごく大事だったんだ…


でも今さら気づいてどーすんの・・・





自分が腹立たしくて仕方なかった。
情けなくて情けなくて、どうしようもなかった。







次の日、普通に電車に乗って会社に向かった。




座ってボーっと車窓の風景を見ていた。

いつもの「東京」の景色が広がっていた。
でもいつもよりかすんで見えた



涙が、どんどん浮かんできた。
恥ずかしかった。


電車の中で、声を殺して泣いた。





会社に行っても
いつものように山ほどある仕事を片付けることはできなかった。

モニターを見ていても、すぐに涙でかすんで見えなくなる。
そのたびにトイレに行って泣いた。





私は「彼の住んでいるところに、行こう」「とにかく話をしよう」と思った。
「仕事を辞め東京を離れて彼と一緒にいよう」と。




それを友達に告げると、止められた。


「…もっと傷つくことになると思うよ」
「彼は相当考えてその結論を出したんだよ。もう、変わらないと思う」





ショックだったけど、本当にそうだろうと思った。


この半年、いや私の就職が決まったもっと前から考えて、悩んでいたんだ…。
苦しかっただろう。
やりたいことに進もうとしている私をみて、苦しかっただろう。




彼が時間をかけて、本気で悩んで出した結論なんだから、
受け入れるしかない。




私は彼の存在が
いつの間にか「普通」になってしまってたんだ…。








私は、分からなくなった。



彼と引き換えにしたとも言える「仕事(会社)」「東京での暮らし」

そんなに自分に必要なのか? 第一のものなのか?

「バリバリ」やるってそんなに素敵なこと?





……そんなことない。


仕事は変えられても「その人」は1人しかいない。
それなのに…? 



でもこれから夢だった仕事を中途半端なまま諦められる…?




ぐるぐる、頭の中を駆け巡った。





気持ちに整理がつかなくても、泣いて泣き疲れても、
とにかくまずは、「ちゃんと生きていかなきゃ」と思った。