書けるだけ書いておく。
体調の件を、こっそり・・・書く。こっそりじゃないか。 ひゃは
4日間胃痛が続いて
(このうち3日間は病院に行く気力もなく)やっと今日、総合病院に。
ここで
自分のこととは関係なく、2回、
泣きそうになった。
(長いのでたたみます)
古くからある診療所
そこはビックリ、おじいちゃん・おばあちゃんの
憩いの場。
そんな和やかな中で、1時間30分待つ。
・
待ちくたびれ・・・た・・・・・
・
・
ふと見ると帰りのタクシーを待っている
おじいちゃんとおばあちゃんが2人。
2人とも、80代後半か。
杖を持っていらっしゃる。
2人は夫婦か、知人か、他人かは分からない。
ほとんどボーっと座っているだけなのだけど、
時おり、顔を寄せて何かしゃべっている。
そしてまたすぐに、前に向き直って座っている。
そこには、色んなことを超越した空気が流れていた。
おじいちゃんは、上下おそろいスーツ。
おばあちゃんは、明るい色の洋服にオシャレな帽子。
きっと2人とも病院に行くから「それなり」に
きちんとした洋服を選んで着たのだろう。
もしくは、
同居している子供に「ちゃんとして行きなさないよ」
と着せられたのかもしれない。
いいな。
老いるって、誰にでもくること。
イヤなことばかりじゃないはず。
ああゆう空気、いいな。
・・・もし私がここにある人と一緒に来ていたら、
そんなことを全部話すだろうな、と思った。
そしてその人は、まぶしそうにそれを見て
温かく微笑むのではなかろーか、と思った。
・・・・・・ぐす。。。。
★ ★
待ち時間にベッドに寝かされ、順番を待つ。
傍で声が聞こえる。
どこかのおばあちゃんに看護婦さんが質問
(たぶん介護保険系の)をしている。
おばあちゃんは耳がとおいらしく、看護婦さんは
大きな声。
看護婦「 ◎◎さん、一人で銀行に行って出し入れできますか? 」
おばあちゃん「 できませんよー」
看「 一人で身の回りのものを買いに行けますかー?」
おばあ「 はい、行けます 」
看「 近所のお友達のおうちに行ったりしますかー?」
おばあ「 はいはい、行きますよー 」
・・・そこから娘さんらしき人が来て、看護婦さんがさきほどの質問を
再度、娘さんに聞いている。
看護婦「 一人で銀行に行って出し入れできますか? 」
娘 「 いいえーもうできないですね 」
看「 一人で身の回りのものを買いに行けます?」
娘 「 いいえ。付き添わないと無理です 」
看「 近所のお友達のおうちに行ったりされますか?」
娘「 いえいえ。もうね、近所に友達もいないんですよ 」
…しばらくたって、涙が出てきた。
老いるということ
でも素晴らしいということ
生きるということ
いま生きているということ
なんでだろ、きゅーんとした。
ウチの祖母を思い出した。
デイサービスに行くとき、私にこう聞いたおばあちゃん。
「みーちゃん、何か欲しいもん、ない?」
「ないよ?」
「ま〜…お菓子でも買ってこよう」
そして帰ってくると、真っ先に私を呼んで菓子パンやらお菓子やらを渡した。
「気に入るかどうか分からないけど、、、、」
「わ。いっぱい。お菓子好きだよ。ありがと〜 o(>▽<) 」
「いっぱいモノがあるから、どれにしたらいいか分からんねぇ〜」
「お店は目がチラチラして、疲れるねぇ〜」
と言う。
昔は一人で買い物ができた祖母も寝たきりになり、今ではデイサービスで
「買い物」のイベントがあるときくらいしか自分では買わない。
そのときは保健婦さんが車椅子を押してくれて、買い物の手助けを
してくれるのだ。
たぶん祖母は、私は何が好きだろうかとか、一生懸命考えながら
保健婦さんに相談しながら、このお菓子を選んだんだろう。
今日出あった、銀行に行けないおばあちゃんの
一生懸命さ。
うちの祖母の、一生懸命さ。
私は、忘れちゃいけない、って思う
私が生きるときに、忘れそうでもどこかで覚えて
おきたいと思う。
どんなに
「チラチラ」した世界で暮らしても、どんなに「友達」がいても、
どんなに、元気でも、
どんなに いやなことばっかりが重なっても。
んんんん〜〜〜
ほんっと涙もろくなったなぁと思う。
ちゃお