飛べ飛べあたし




そうだ、ライブのチケ予約がいつだとかそんなのはどうでもいいのだ!
それが頭に入ってこないってコトは今はそんなことしとる場合じゃないってことだ!
(ただし手に入れば絶対に行くッ)


あー今すんごいシロップのCD聴きたいな。あの暗さと絶望感がすんごい良い。CD誰かに貸して戻ってきてないよ・・・・・涙!!!!!また買うのかい!!!!!・・・涙



私は、話したいことがあった。吐き出したいことがあった。そして今もある。
でもだれ彼構わず言える事ではない。言うべきではない。


だからこそどこにも言えなくて今日も帰り道、少し泣いた。(泣けるだけいいね)



会って話を聞こうかという人に対して会えません会うとモワモワしたいやな感じの
ときと同じになってしまうそれってきついやん、という話をしているそばからもう
涙が出る。


(注;誤解を受けそうなので先に記しておくのですが
   私が抱えているのは「恋愛」とかそういうもんではなく)


私は、話を聞くことをしなかったその人にその悲しみを伝えた。自分勝手かもしれないけれど、言わないよりマシだ。正直に生きるんだ。


そうしたらその人は反省しているようだった。とにかく他の人や他の子に会ってもその人にはしばらく会わないほうがいいと思った。当事者は私だ。私であり、誰かだ。


結局その人にも時間を置いて考えてもらうことにした。そのほうがいい。会わないから分かることがある。それが必ず分かると思った。


もうそんなことはどーでもいいよ、と心で吐き捨てるように言ってしまうのを抑えて、「ソれ言ったらお終いだよ」と自制。


人は興奮していると簡単に言葉を口にするからね、だめだめ、そういうの。



「私の話」を聞きたいからということで話すことに。


私には例えばこれを行うために、数え切れない現実問題がある。それを一つ一つシュミレーションしてYES/NOを出していかないといけない。その脳内作業をするだけでも、いつかはへとへとになってしまうだろう。


それを「周りの人」はしているの? 問題解決までの道のりで、いま、どこまでいっているの?



それを「思考の仕方が違うから表現できない」なんていうのは逃げるのと一緒じゃない?
卑怯だよ。


私は痛い思いをしながら、想定できる問題を一つ一つ掘り起こして「1人」で考えているよ?
だってそうしないと、ごめん私にとってダメなんだ。



でも私は、自分を変に変えようとは思わない。良くみせようとか、気に入ってもらおうとか、高い評価を得たい、なんて(思うことも歩けど)もう思わないよ。



このまんまの私を受け入れてくれる世界や関係性の中で生きていく。生きて生きたい。



まっすぐ生きることが例えば誰かを傷つけることが在る。悲しいけれど、ある。


まっすぐ生きていることを良しとしていたのに、それが「悪」だったりすることも、ある。



私が信じてきた「まっすぐ」は、それにはまったく後悔は無い。





けれども、それでも、ダメなことって、あるの?