とびっきりの楽しさや喜びがあったとき、そしてそれが続いているとき、人は
穏やかでいられる。キラキラしている。(ただ「慣れてしまう」という難点はあり)


だからこそ、その「+」部分をいつか手放さなければならないという現実を目の当たりに
したとき。
人は愕然とする。もしくは、分かっていた結論を見ないように、先送りにしていただけだ
ということを痛感する。

そして「何とかしなきゃ」と思う。

例えば、「助走」を試みる。
「+」の世界から脱するための「助走」。


「打撃」「痛み」を回避するために、
できるだけ「手放すとき」「手放した後」を想像し、
少しずつ、その「+」から離れることをしていくのだろう。

そうするほうがいいのだろう。

なぜならば…

「+」が誰にとっても「+」なら手放す必要は。ない。
けれどもその「+」が祝福されるものではなかったら? 誰かを傷つけて得るものだとしたら?

それは…「−」だ。

しばらくは「+」であっても多分ずっと「−」はついてまわる。



「+」から離れるーーーまだ誰もとがめていないのに、離れる…

頭では分かっていても、怖い。
こんなとき、無感情な人間だったらどんなに楽だろうと不謹慎なことを思う。


思いっきり泣いて泣いて泣いて、心は浄化できるんだろうか。
ワタシは、立って明るい笑顔でいられるだろうか。


音楽が、ワタシの支え。