「僕らはそれでも何となく生きているんだ」




ふと、このブログの名前「僕らはそれでも何となく生きているんだ」について書こうと思った。
書くほどのことでもないんだけど。


これは銀杏BOYS・峯田くん(CD1枚も持ってない→欲しい)の「それでも僕らは大人になるんだ」(だっけ?)が心に残っていて。


「それでも僕らは大人になるんだ」−−− 儚くて、でも、強くて。とてもいい言葉だと思った。

甘酸っぱく切なく心に響く。これを見るたびに。これを読むたびに。


そっから発して…

私は「何となく」、「僕らはそれでも何となく生きているんだ」って思う。


「私たちは」ではなく「僕らは」。


色々あるけど、「それでも」生きている。


つらいけど、「それでも」生きている。


平凡だけど、「それでも」生きている。


つまないけど、「それでも」生きている。


「何となく」でいいじゃん。

「何となく」って言いつつ実はみんな希望や意志をもって生きているんだから。


力まなくても目標を高く掲げなくてもそれでもいいじゃん。生きていれば。生きていさえすれば。


楽しいことや充実感なんて毎日あるわけじゃない。達成感も。

それを悶々と思ったこともあったけれど、でも、そんなもんんだよ。

だけど希望は捨てないんだな。捨てたら最後だよ。生きているっていう希望。

これからも【何となく】生きていこうぜ、っていううっすらとした希望のようなもの。