奇形の世界が人間の品質をえぐる〜『エレファントマン』




ネットで何人かが「衝撃を受けた映画」として紹介していたのでレンタル。
昔から作品名だけは何度も聴いていたのだけど、確か映像がモノクロで古い感じがしたので観る気が起らずそのままになってました。


結果…
60点


エレファントマンの悲哀がびしびし伝わってくるエピソードとその作り。他人に「あの生き物」「化け物」と蔑まれ、見世物小屋でひどい扱いを受ける…それを観て私たちは胸が引き裂かれそうになる。
主人公のジョン(通商エレファントマン)の「病気」である外見はものすごくよく作られていて、そのひどさ・哀れさ(って言ってはいけないんだけど)が鮮やかに再現され、モノクロなのにそれを感じさせないのはすごい。


そして救いは、彼を保護した医者との交流・周りの人が平等に接しようとする姿、そして何よりジョンが心優しく純粋な性格であること。そこで私たちは彼に「良かったね」と思い映画の中でほっとすることができる。


でも。
彼のような人と出会ったら自分はどうするだろうか? 目をそむけるのではないだろうか? 私だって傍観者であり「怖いもの見たさ」なんて言うんじゃなかろうか? 彼を助けることができるのだろうか?


これは彼が「宇宙人」とか存在が不確かである生物だからではなく、人間という種別の中にある障害的マイノリティであるからだ。彼のような神経腫瘍症の人は存在していて、その障害に限らず、言葉として禁止されてきている奇形という障害をもって生まれた人々は実際に世の中に存在している。彼らについて「一応健康」で生まれ生きている自分が、どうとらえているのか、改めてその問いを突き付けられる。


デビット・リンチがなぜこの映画を作ったのかは諸説ある。「人間の本質に迫る感動作」という売り通りか、それは配給会社が綺麗にまとめただけであってこの作品はそもそもリンチの「エログロ」趣味を満たすために作られた、などなど。

でもそんなことはどうでもいいだろう。

『エレファントマン』は観終わって、気持ちがいい映画ではない。ではなぜ気持ち悪いのか? それは、私たちが自分自身で観ないようにして蓋をしている「負」の感情に向き合うことになるからだ。


私は、何度か涙した。フィクションかもしれないが、ジョンはあんな悲惨な人生を歩みながらも、優しさ・清らかさを失わなかったからだ。

※特典でDVDについている「REALエレファントマン」は必見!物語の背景をドキュメンタリーとして追っていてこの作品をより理解できる。