多分いつも




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ほとんどの人は
多分いつも、幸せ。

なにかは。
どこかは。
幸せ。


「幸せになる」「なりたい」って言うけれど
そんな「最終地点」は存在しなくて。


でも
「いま」、
「それなりに幸せかも」くらいで
いいんだと。




わかりやすい幸せが存在するときは
その幸せが「ふつう」になる。
すごいことなのに、人間の悲しい特性上の慣れによって。



そしてその「ふつう」を喪失したとき、した後に
「ふつう」の「幸福感」がどれだけ
貴重なものであったか痛感する。


記憶としてフッと蘇えるキツさ。
そしてそれを乗り越えていく時間の力と
生命力(みたいなもの)。


そういうことを体感できるかどうかには
個人差があって。


大きなしあわせと小さな切り傷、
その傷口がふさがったあとしばらくして
また小さな傷ができて。


でも結局は、自分やまわりのもろもろの
「お薬」によって治癒し、傷の部分は
強くなっていく。


この間りんちゃんが言った
「弱い部分を認め合うのが、本当の
人間関係なんだよ」
って
するどいなと思った。




泣いて
笑って

泣いてて
笑ってて。