考えるより、感じる





今日は会社から退社する前に、よろしくないことがあった。でもこれは私が、悪い。全面的に悪い。
申し訳ありません。。。反省しきり、です。…さ、気持ちを切り替えよう。


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以前のブログを整理していたら、懐かしいと共に「こんなことあったんだ」とか「こんなこと思ってたんだ」とかいうことも出てきた。




このブログは最初、音楽のことをメモろうと思って始めた。でも音楽のことより日々の一部を切り取ったりつぶやいたりすることのほうが多くなった気がする。



ブログというものは、不特定多数の人がみるもの。
私の場合知り合いに(1人を除いて)このブログのことを告げてもいないので、個人情報の最低限のラインは死守する方向で綴っているのですが。



そして、ココに自分の全てを「さらけ出す」ことはないように。
(でも弱音はいっぱい吐いている…)


という意味で「一部」ではある。


その一部を読み返し思い出すと正直「1年以上も続いてたんだ」とビックリ。


「続けよう」という意識ではなく「いつの間にか続いた」ということを考えると、自分にとってそれが心地いいからなのだと思う。


うん、だから書いて良かった。


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「考える」ことと、「感じる」ことはつながるときもあるけれど、対極にあったりもする。

「考える」ことばかりしていると「感じる」ことがおろそかになったりする。
考えようとするから感じることができない(ことがある)。



前者を「頭」だとすると後者が「心」。


心。


これを、もっと大事にしてあげてもいいんだ。
自分にとって。自分のために。ひいては他人のために。


もっと、もっと、自分に優しくしてあげよう。
甘やかしてもいい。


つらいときは「つらーーい」って思ってもいい。
悲しいときは「悲しい」って。



嬉しいことや楽しいことはすぐに受け止め、感じ、それを
表現することはできる。


でもネガティブな感情ってそれを感じることさえも「ダメなこと」
だとして「なかったこと」にしようとする。


うん、それも、アリ。

でも。

つらいんだから、つらい。
悲しいんだから、悲しい。


それでいいんじゃないかな。