最近のひとりごと





「書き出す」ことはとてもいいことらしい。知っていたけど今日本を読んで改めて意識した。


私は綺麗で整然とした文章が書けない。推敲もしない。ダダダダダっと書くのが好きだ。
でもたいていそういう文章は内面が吐露されすぎていて、その吐露願望をもつ自分が恥ずかしくなって消してしまったりするのだ。




別に「書く」だけならばワードで打って自分のフォルダに保存しておくだけでいい。
不特定多数の人の目に触れるweb上にUPしなくったって、いい。んだけれども。



webにUPってことは色々めんどくさいことも伴う。
どこから観られているか分からないからだ。


でも『外部』に「自分のスペース」があるということは、とても心地がいい


例えばこのブログは私の一部の表出でしかないけれど、「自分」の一部であることには変わりない。
そのスペースを持てていることは、結果的に良かったと思う。



≪音楽≫というキーでつながった方もいるし、それ以外でつながった方もいる。
(「つながった」というのは1回きりこれを「読んだ」ってことも含めて)



でも、それが足かせになる場合もある。


何も考えずに好きに書くことができなくなってくるのだ。そういう経験は他の場面でも誰しもがしていると思うけれど。私はそれを感じてきたことが多かった。
だから限定された場所を探しているのかもしれない。


例えばオフラインで会う人が全くいなければ何でも書けるだろう。
でもそうではないので、いつの間にか意識してしまう。





…と言いながら。




ここ数日、ダルダルに落ち込みぎみ…… o(;;)。


それは、人とのつながりにおける空しさを感じる出来事が起こったから。
しかも小さなことがいくつも。





携帯のメール


便利で、人を身近に感じるものだけど、それがあるせいでヤなこともある

常にもっている携帯。情報の発信機でもあり、受信機でもある。
「人ととながるツール」(ドアのようなもの)になってくる。



携帯のメールがなかったとき(ある意味「自由」だったとき)に比べて、
「ドア」が開閉しないこと(連絡がこないこと)が気にかかる。



「ドア」は鞄の中に、ポケットの中にいつも在るから「感じる」。
感じるからこそ余計に「開閉しないこと」が寂しく感じられるのだろう。


それは、無駄な意識の疲労にもつながるんだよなぁ…。


・・・いかん、最近の高校生みたいだ。


★★★★★



その携帯メールで、色んな情報が入ってくる。


「◎◎がこんなヒドイこと言ってくるんだよー」「好きな人にーーーって言われて落ち込む〜」「●日、時間ある?」「▲日の●時ーーのライブチケ取れたよ☆」etc…


ありがたいことだよね。そこにあるのは(相手は意識してないにしても)「わたし」と連絡取ろうと思ってくれてるってことだもん。ありがとう、って思う。

だからできるだけちゃんとした内容のメールを返そうと思ったり。




メールは、人によって個性がある。
メールの書き方、返信の速度・タイミング。

特に「違うな」と思うのが「会話」になるかどうか。

「会話」になる人とは電話でしゃべってるかのようにポンポンとやりとりする。(こちらも時間があるときだけど)
私は別にこれが嫌いではない。逆に楽しいかも。

それは恋愛の悩みが多いかな〜。相手は「相談したい」というよりも「誰かに聞いてほしい」という思いのほうが強いんだろうな。ん、でも全然それでOKだと思う。「そのとき」つらいんだし「そのとき」聴いてあげられるほうがいい。





さらに「チャット」みたいになる人がいる。1人だけ。

その最初のメールは一言だけ「にゃー」とか入ってくる(笑)。私もそのテンションになってしまうので「にゅるにゅる」と返したり普通に「なにしてるの?」と返したり。
でもたいていその「にゃー」を始まりに10分間の間に何通かやりとりをする。

その人とは別に電話してもいいんだけど、メールでのそのチャットな感じが微笑ましくて楽しいのでそのまま。

この「チャット」は楽しいな〜

こっちも気楽に「ぶーぶー!!」(何だか落ち着かないのよ〜のような意)というようなくだらない言葉ひとことイキナリ送るのが許されているし。





だからそれに慣れるとそっけないメールだとちょっと寂しくなったりも。
男性と女性でメールの使い方や書き方はかなり差があるというけれど。





あまり決まっていない予定があった。相手が忙しいのでメールで決めようとしたら電話がかかってきた。

「電話のほうがいいのかな」と思い、メールは電話可能な時間を確かめる手段に。拘束時間がほぼ夜23時だからメールはたいてい22〜23:30、電話は24〜1時、と限られる。


あまり決まっていない予定。楽しみにしている予定。
しかも、その日のことが決まらないと他の予定も決まらない。


邪魔しないように遠慮がちに相談してみる。
そうしたら「◎日に電話する」との連絡だったりとか。

と聞けばその日の多分◎時に電話があるだろうと思って待ってしまうもの。だよねだよね?


でもなかったらー?
おーーい…と思いつつ枕元に置いて寝る…寝ようとしても眠れない。
だから音楽を聴いてちょっと悲しくなりながら眠る。


そういうのが、対・女性と、対・男性で、やっぱ感覚が違うよ……
「人」にもよるのかもしれないけれど。






けっきょく連絡が取れないから楽しみにしていた予定もナシの方向で
片付けるしかないよね。。。。。



とにかく、
私はとても悲しかったなぁ……
久々に傷ついた出来事。



ばかばかばかばかぁああああああああ o(>д<)o



すっごく、すっごく、すっごく、悲しかった。悲しかったよ。
いろいろ。





だからか、昨日深夜フジロックから帰ってきた友人の電話が
余計にうれしかったな。




ひたすら「フジ最高だったー!行ってよかったー!」
「−−のステージでね、」「==の音が〜〜〜でね!…」

フジのレポなんだけど。




お互いベッドに寝転がりながら。



私は、それまでその自分が手に持っている携帯電話、連絡が途絶えた
携帯電話が物悲しいネガティブなものだったんだけど。




そのFUJI電話で、
こういう幸せを分けてくれる人はいいなあーと思った。



温かくて、優しいなぁと思った。




(最初は「ね…眠い…」と思っていたけれどその幸せそうな電話の
お陰でそのまま眠れたんだと思う)





私は、
温かくて優しい人間でありたい
。(に、なりたい)





だから、
まわりも温かくて優しいひとが多いほうが心地いいのかな。





ここ最近
とっても悲しかった。


こどものように、傷ついてそれを実感した。



おつかれ。




やっぱり、温かくいよう