日記のようなものを書くということ




私は文章を書くのが好きだ

いや、パソコンのタイピングが好きなだけかもしれない。

だって文章はうまくないし論理的思考もない。引き込むような文章ではない。
(だから時々そういった文章を書ける人を尊敬する)

だから、パソコン及びインターネットで何が良かったかというと、それは毎日好きなだけ文章が書けることだ。書かないと死んでしまうーいや、そのくらい。
でも書いたモノを別に人の目にさらさなくても良いではないか。一人で書いて自分のハードに保存しておけばいい。

それなのに、なぜブログやSNSなど人目につくところにさらすのか。
それは、つまるところ「寂しいから」だと思う。パソコンに向かっているとき、歩いているとき、ひとり。でも何か考えている。(ついでに私は「考える」という時間が多い→イヤだな)

それがたまりすぎると「外」に出したくなる。「出す」方法の1つは「しゃべる」であろう。でもこれは相手と時間を要するし「で、何が言いたいの?」と言われる可能性があるので、そのままをしゃべれないのである。

だから「書く」。
「書く」という「出す」であれば他者を必要としないし、気にすることなく書ける。

でもそれをそのまま1人で保存していても・・・と思ってしまう。「誰か」に読んで欲しいのだ。できれば誰が読んでいるのか、そしてどう思ったのかまで知りたい。
そこで共有できているような気がするからだろう。

ただ、私のここは、まだ誰にも教えていないので誰も読んでないと思うと、気楽でもあり物足りないような気もしてくる。

知り合いにアドレスを教えてもいいのだが、そうなると人を選んでしまうし、「対象」をどこかしら意識して書いてしまうに違いない。

事実、こうして書いている現在でも「あとで==さんに読まれるかもしれないし」といった警戒心を胸に遠慮気味に書いてしまってるーひゃーじゃあブログの意味がないやんか!
しかもここは訂正できるねんよ!ッてことで、自由に書きます。(でも書いてこれをグーグルで発見してくる人とかいるからなー)

そもそもどうして私がはてなでブログしようと思ったか。それは会ったことのないKくんというカワイイ?大学生がおもしろステキブログを書いていていつも「はてな」という言葉が気になっており。でも、はてなは使い方が分からず放置していた。SNSだけでいいと思ったし。
ただSNSで知り合い(特にリアル)が増えてくると、「書きたいけれども書けない」ジレンマに陥ってくる。私のような「何でも書きたい」ヤツにはどうしようもなく、ストレス。

コノヤローと思うことやライブに行った事とか恋愛とか、人に言えそうにないこととか、それを出したい。とりおあえず身体の外に出しておきたい!
そうか…仕事が終わって「すっきりしないなー」と思いながら電車に揺られているときの倦怠感は、ここに起因しているのではなかろうか、と思えるほどである。(おおげさ)

そう、SNSでは「この100人を越える人に見物的な人々に、私のことを伝える必要があるの??」もったいない的(えらそうな自分おいおい!)な思考ができている。

だとしたら選んだ対象、もしくはこれを読んでいる全く知らない人に伝えた方がはるかに建設的な気がする(私にとって)

ここでも、私のことをどこからどこまで書こうかと思うけれども。
っていうかここって1日1件しか書けないんですか?(あ「見出し」で書くんですね)
っていうか、これを読んでいる人はいるのかなぁーいないんだろうなー