峯田ブログ、やっぱりズキュンとくる




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さいきん峯田くん熱もほとぼりが冷めて初のブック「恋と退屈」も買っていないという有様なのですが。
久しぶりにブログを読むと、やっぱりこの人の文章ってググっとつかまれるところがあるなぁと思う。




2006年10月10日 サイン会3日目が終わって


ちゃんとしている大人なんて、そもそもが間違っている。大人とは、そもそもちゃんとしているものだからだ。じゃあ、さしづめ僕はちゃんともしてないし大人でもないんだろう。
じゃあ、僕はいったいなんなんだ。


二十歳も過ぎて、結婚できる権利も持っていて、給料もらって、税金も払っている。そんな僕は大人じゃないっていうのか。子供だって言うのか。こんな歳になって「僕は子供のままでいたい」なんて言う馬鹿もたまにいるかもしれないけどそんな奴には死んでもなりたくないぞ。


僕は胸張って言う。僕は大人だ。「ちゃんとしなくてはならない」という定義を守れない、ちゃんとしてない大人だ。十代の頃にロックというものに夢を預け、その幻想に取り憑かれ、やがてそれが実は嘘だらけの世界だったということにも気づき、それでも本当のことは真ん中にありそうだと、実体のみえない何かにしがみついたまま、気がついたら28歳だ。
僕は宗教を馬鹿になんてしない。宗教信者を差別なんてしない。誰が何を信じたっていいと思う。だって僕は、ロック教の信者だ。僕は僕じゃない何かを信じる。僕の中にある何かは、僕だけのものじゃないと信じる。もしかしたら、誰かの中にもあるんじゃないかしらと、信じる。


幼い頃に聴いたブルーハーツ。まだ小学校2年生だった弟と一緒に聴いたブルーハーツ。あの時ふたりで笑いながらブルーハーツを聴いた時、僕と弟は同じ感情になっていなかったか。あの瞬間ひとつになっていなかったか。


2001年9月11日。あの時僕は別れたばかりの彼女と一緒にラブホテルの中にいた。決して高級ではない、少し古いラブホテル。その3階の部屋の中で、僕らはニューヨークの映像をみた。僕らは黙っていたけど、同じ感情になっていなかったか。僕らだけじゃない。あの瞬間、世界中の人たちと、まるでテレパシーのようなもので繋がった気がしたんだ。一瞬だけ。


僕らは一瞬でもわかりあえる時がある。ひとつになる時がある。そしてすぐ、また別々になる。なんなんだろアレ。
次に会える時がいつなんだろうなんて、期待しない。そっちの方がいい。次に会う日を約束するのは「ちゃんとした大人」の人たちがすることだ。



ちゃんとした大人よりも、もっとちゃんとしたいと思う。だから、もっとちゃんとしてない大人になろう。

ロックを信じて、ロックなんてやめちまえと思って、またある時ロックが好きになって、それのくりかえし。ばかやろう。

ちゃんとした大人の皆さま、ありがとう。心から。
ロックの神様、ばかやろう。



なに書いてるかわかんないんだ自分でも笑。でもなんとなーくわかるんだ。あとはあなたに任せた。

「ロック」に関するくだりが好き。

銀杏は、「ロック」を語るお偉いさんや洋楽系の人からすると「ケッ」って笑っちゃう人たちかも知れない。峯田くんのVoだって音程は不安定だしお世辞にも「うまい」とは言えない。でも…心の底をエグりつかんで離さない何かがある。

そんな峯田の「ロック」が何なのかも分からないし、そもそも「ロック」なんてワタシには語れないけれど、ただ、峯田は「ロック」を愛していて自分なりにそれに対してもがいて考えている、これからも考え続ける人なのだろうということだけは何となく分かる。